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丁稚(でっち)時代の思い出

左手薬指の爪のあたりが赤く腫れ上がり、熱をもって痛いので
病院で診てもらおうと思ったんですけど、運の悪いことにその日は日曜日。

かかりつけの病院は休診ですが、ネットで調べて日曜診察してくれるところを
探したら新大阪の町医者がヒットしました。

新大阪にはよく行くのですが、こちらは普段はあまり通らない奥まったところ。
でも行ってみたら懐かしい風景のなごりがありました。

今は新しい道路を作ろうと工事中になってますが、まだ整備中の部分も残っております。

こちらから反対側を見るとこんな感じ。

まだ立退きも完了してない様子。

この辺りは昔、ワタクシが中学3年生だったころ、よく来たところだったんです。
と申しますのも、ここからすぐの場所に【新大阪センイシティー】という繊維の卸団地が
ありました。(かなり規模は小さくなりましたが今でもあります)

弊社は昔はその新大阪センイシティーの中に数店舗、店がありました。
先代が社長を務めておりましたが、野球部が冬休みに入る12月になると
「おい、店を手伝え」
と言われて、ワタクシは丸坊主のままお手伝いをしていたんですねえ。

当時の師走のセンイシティーは来館客がたくさんいて、大賑わいでした。

その中で中学3年生のワタクシは
「おい、ヒデ坊(その当時はそう呼ばれていた)このジャケットを持ってネーム屋さんに走って
今すぐネームを入れてもらって来い」
とか
「ヒデ坊、直し屋さんに走って急ぎ修理のスーツもらって来てくれ」
などと店長や店員さん達から命じられ、あっち行ったりこっち行ったり、丁稚のごとくこき使われていたんです。

その直し屋さんや修繕屋さんが集まっていたのが今、道路工事をしているこのあたり。
こう言ってはなんですが、汚ったないバラックがたくさん立ち並んでおりました。
とても近所に新幹線が走っているとは思えない、まるで「あしたのジョー」が出て来そうなバラックでしたよ。


あれから40数年。
街はすっかり綺麗になりましたが、その最後の仕上げとも言うべき道路新設工事でしょうか。

またひとつ消えゆく昭和。
哀しいような、新しくなる街が楽しみなような。